愛餓え男

【マジ話】9年間不登校だったけど今は元気にやっている話【高校編】

 

中学校編にて、9年間の不登校の末ついに高校入学を決めた私。

【マジ話】9年間不登校だったけど今は元気にやっている話【中学校編】激動!! 中学校【脱不登校】編!! 【小学校編よりつづく】 https://aiueoblog.com/%E3%80%90%...

ここまでで長かった不登校の期間は終わりました。

9年間、ほぼ完全な不登校。学力は無いし、そもそも人との関わり方(社会性)がまともに育っていません。

そんな私が高校に入学するとどうなるのか?

今回は『実録! 不登校児の高校生活編』と銘打って、私の前途多難な高校生活について書いていきたいと思います。

 

結論:高校超楽しい!!!

入学と初恋

始業式に遅刻した

というわけで、高校に入学しました。

そして始業式に早速遅刻。

集合場所を間違えてしまいました。

私の通ってた高校は立川に本校舎があり、入学したのはその分校(八王子キャンパス)だったのですが、そこへ向かうための集合時間に思いっきり遅刻!(一時間くらい)

トラブル対処能力ゼロの私は母に電話しました。そして母が先生に電話して聞いてくれることに。私は電話が苦手なので、当時、自分では家以外の場所に電話がかけられませんでした。

そして……再び母に電話をかけると「先生が今から迎えに来てくれるって」とのこと。

生徒一人のために先生がわざわざ車で迎えに来てくれるとは……。

この時の驚きは相当なものでした。そして怒るでもなく、先生は車内でも私がリラックスできるように他愛ない会話をしてくれたのでした。

入学初日にして、「この学校にしてよかった!」と思える体験でした。

初恋のてん末

入学して半年ぐらい、私は同級生にをしました。

これが私の初恋です。料理の授業が一緒の、笑顔がステキな彼女。

めちゃくちゃ戸惑いました。そしてすごく悩みました。想いを伝えるべきか……伝えないべきか……ていうか自分がどうしたいのか? などなど。
そして思ったことは

「恋って、めんどくせぇ……」

私は恋が嫌いです。なぜなら、自分の行動を制御できなくなるから。

その女の子が同じ教室にいると気になってしょうがないし、好かれようとして不自然な行動をしたくなるし、まともにしゃべれないし、心臓ドキドキしてふわっとした気分になるし

もう最悪。

同時に死ぬほど恥ずかしいので、言動で誰かにバレやしないか…とヒヤヒヤしていました。付き合う妄想とかはするものの、告白しようとはとても考えられません。

しかし、ある時そんな私を救ってくれる言葉に出会います。

 

「恋の魔法は一年半で解ける」

 

いわく、恋というのは人間が繁殖行動をするためのものだと。

そして、恋をしてから繁殖行動に至るまでに時間がかかりすぎると、それ以上コストをかけてもムダだと本能的に悟るのだそうです。

 

すごい納得。

 

そして無事、一年半ほど経つと恋心は薄まっていきました。その女の子とはよく喋るようになり、三年生の時に「一年生の頃好きだったんだよ~」という告白、というより報告をして、一応の区切りがつきました。

その子とは今でもよく会っています。

バイト開始

 

高一の秋から近所のスーパーでバイトを始めました。

面接当日。口から心臓が出るほど緊張して、やらかしました。

ビーサンに短パンという恰好で面接に行ったのです。

店長に「きみ、そんな恰好で面接来ちゃだめだよ」と言われ、ショックで頭真っ白になる私。面接は午後からだったのですが、その日は一日中心臓がバクバクいっていて、とてもまともにものが考えられる状況ではなかったのです。

……そもそも常識がないので考えても分からなかったかもしれませんが笑

気になる面接の結果は……!?

 

なんと合格! ……なぜかというと、兄のコネで入ったからです笑

ありがとう兄!

すごいプレッシャーでしたが、高校入学から半年で、なんとかバイトが出来るまでの自信と社会性が身についていました。これでも成長していたんです笑

そのバイトは、高校三年生の春まで続けました。

友達が 沢山出来た 二年生

高校二年生。ここから私の高校ライフは一気に花開くことになります。

二十五歳になった今もなお月イチくらいのペースで遊び続けているかけがえのない親友たちと知り合ったのはこの頃。

友達が出来ると、行事や授業、ありとあらゆる学校生活が楽しくなります。

二年生の時は週二回しか授業をとっていませんでしたが、授業がなくても学校に行くようになり、

最終的には週六で通い詰めるように。

母は言いました。「あんた、不登校の次は過登校かい……」

だって楽しいんだもん。人間、楽しいことは進んでするものです。

早くも最終学年!

三年生になりました。三年生の春、とんでもない事が起こります。

東日本大震災。

今もなお日本に大きく爪痕を残している大災害は、2011年3月11日の午後2時頃起こりました。

私の家や住んでいるところでは、目立った被害はありませんでした。

しかし繰り返す余震停電、運輸のストップによる生活物資の不足などから、災害の規模の大きさを実感しました。

そして聞こえてくる、福島第四原発の深刻な被害状況。

母は言いました。「あんただけでも、名古屋のおばあちゃんちに行きなさい」

唐突な提案に驚きました。春休みで学校はなかったものの、バイトはまだ続けており、ニ日おきにシフトが入っていたのです。

そう心配して母に言うと、帰ってきた言葉は

「バイト先には私から連絡しておくから、すぐに行きなさい」

実は、バイト先にはちょうど辞める話をしたばかりで、どちらにせよあと一月ほどで退社の運びでした。

とはいっても、無断欠勤です。

結局、両親の強い勧めの通り、私は名古屋のおばあちゃんの家に避難しました。東京に戻ったのは、それから一か月後でした。

すぐバイト先に謝りに行きましたが、怒られることはありませんでした。

でも内心申し訳なく思ったことを覚えています。

でも、今もあの時の母の決断は正しかったと思います。なにしろまぎれもなく非常事態でしたし、そういう非常時には常識をかなぐり捨ててでも優先すべきものがあると思うからです。

そもそも、仕事やバイトなんか命に比べたら重視するようなものではありません。命あっての物種です。

物事の優先順位を考えさせる話でした。

部活の立ち上げと運営

三年生の春、「美術部」を立ち上げました。

立ち上げたとは言っても、周りの絵を描きたそうな人を集めただけですが。

当時、私はそれなりに絵を描いて上手くなろうと思っていましたが、プロになるだとかそういう考えはほとんど持っていませんでした。それに、お世辞にも上手いとは言えないレベルでした。

絵が上手くなるためには練習を続ける必要がありますが、そのためのモチベーション維持が難しく、絵を描くときと描かない時の気分の差が激しいという問題を抱えていました。

そこで、ほかの人と一緒に絵を描けば効率よく練習ができるのでは? と思ったのです。

部活では週二~三回、放課後にクロッキー等の活動を行っていましたが、やっぱりおしゃべりしている時間が長かったです。

絵はやっぱり、個人で描くものですね……。テスト前の勉強会と同じで、人と一緒に描いてもうまくはなりません。モチベーションは上がるけど。

進路の選択と決定

高校三年生といえば、進路決定の時期です。

小さなころから漫画家に憧れていた私。

入学当初はマッサージ師にでもなろうかと思っていた私。

高校卒業したら美大に行きたいと思っていた私。

学費がもったいないとの思いもあり、清掃の仕事でも探して就職もありかもな、なんて思ったりもしました。

 

そして最終的に選んだ進路は――――

 

管理栄養士の資格が取れる4年制専門学校!

 

関係なっっ!!

えー、ではご説明させていただきます。

進路として栄養専門学校を選んだのにはいくつか理由があります。

・美術大学卒業しても仕事なさそう。

・資格に対する信頼感と憧れ。(管理栄養士は国家資格だし)

・料理好きだった。食べ物についての勉強がしたかった。

このへんが主だった理由ですが、栄養士ではなく管理栄養士にしたのは、二年間では友達ができないという確信があったからです。

『栄養士』の資格は二年で取れますが、その上位資格である『管理栄養士』は四年制の学校に通わなくてはいけません(実務経験積めば取れますが、その場合は試験の合格率が落ちる)。

高校でも、最初の一年間はあまり友達が出来なかった私。

自分から話しかけるのが苦手なので、まず誰かに私の魅力を見出してもらい、そこから徐々に浸透していく必要がありました(我ながら面白い)

「二年制の学校では、友達が出来たとしてもほとんど一緒にいられず卒業を迎えてしまう!!」

ということで、長い方にしたのです。今思うと、すごい理由です。

 

――なぜすごいかというと、本当にそうだったからです。

 

【専門学校編】につづく

 

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